もう少しイニシエーションの話を続けましょう。
イニシエーションは、人間が経るべき「通過儀礼」であると受け取ることができます。
通過儀礼とは、文化人類学者のヴァン・ジェネップという人が提示した概念で、私たちがいくつかの人生の節目を乗り越える際に体験する儀式であるといいます。
たとえば私たちは生まれ、幼児期、子供の時期を経て成人になり、結婚して年老い、やがて死亡するわけです。
それらの各段階は、それまでいた位置から離れ(分離)、中間的な状態を経て(過渡期)、新しい自分に統合されていく(再棟合)のですが、そのようなプロセスを経ることによって当人は新しい社会集団の成員になったという自覚を持つことができるし、社会集団の側も再統合された彼らを受け入れるようになるという考えです。
それで世界の各民族には、誕生日、割礼、成人式、結婚式、葬式などの共通した儀式があるとされるわけです。
これは言葉を換えれば、人間は人生の節目節目に一度死に、再び生まれ変わって大人になっていくということを表しているのだと思います。
たとえば先ほどの例でいうと、パプアニューギニアの民族が親から離れて集団生活を営むとき、最後に穴を掘ってひとりひとりがそのなかに入り、一昼夜を過ごすといいます。
これは、子供の自分はここで死んだ。
そして、大人としての自分が再生したということを儀式として体験しているのです。
そのような通過儀礼を経て、彼らは母親すらおどろくような変貌ぶりをみせるわけです。
古来、日本にもそれに類したイニシエーションはいろいろありました。
古代神道や仏教の山岳修行では、先達たちが新参の修行者の体を持ち、谷底に落とすようなかっこうをして戒を保つことを誓わせるといいます。
それなども、新参の修行者は一度死んで、神仏と緑を結んだ新しい修行者として再生するイニシエーションだと思います。
だから、山岳修行では山自体を母体であるとみなします。
そのために、聖なる山を男女差別という意味ではなく女人禁制にしている例もあるという話も聞きます。
現に、私が子供のころも大人になるためのイニシエーションはありました。
私の田舎では、成人している人たちが私たち子供をいかだに乗せ、沖へ連れていくのです。
私たちは落とされることがわかっていますから恐怖心に震えているのですが、沖で情け容赦なく港とされてしまいます。
それでアップアップして夢中でもがき、いつの間にか泳ぎを覚えてしまう。
そしておぼれそうになったときに助けてくれるのです。
これなども、典型的な死と再生を体験させて子供を大人に導く通過儀礼といえるでしょう。
また、多くの日本人が体験していることとしてお祭りがありました。
昔はいまのようにおしゃれをして夜店を見て歩き、食べ物や買い物を楽しむというものではありませんでした。
もちろん豊作や除災を祈願する神事が本来の意味なのですが、年上の人が子供たちを引きずり回し、伝統を継承するとともに死と再生を体験させるという意味も担っていました。
私の田舎にもけんか祭りというのがありました。
隣町同士が二手に別れ、みこしを担いで競争し合うのです。
そして最後に、みこしを所定のところに置いた方が勝ちなのですが、その間にものすごいぶつかり合いをし、ケンカをするのです。
みこしを担ぐ若い連中は命がけで、昔は毎年ひとりくらいは死んだものです。
しかし、いまはその祭りもなくなりつつあります。
イニシエーションとは、ひとつの共同体の伝統や神話をみんなで共有して社会集団を保っていくための儀式です。
その意味では、社会集団の価値が軽視されて急速に個人化が進んでいるということの現れなのでしょう。
しかし、私たちはそれでも社会集団のなかで生きていかざるを得ないのです。
今やかつての成人するための通過儀礼はありません。
したがって皆心の成長は遅れています。
もっとも子供の方で成熟拒否をするのですから皆大人になりたくないのかもしれません。
しかし大人になることは逃げようがない現実ですからそれぞれ個性豊かな大人になっていって欲しいものです。
私は小さい頃からのボランティアが習慣づけられることがたいせつだと考えます。
社会で病んでいる人、ハンディキャップを持っている人、老人との対話や世話は子供たちの視野を広げ、「人間」という広さから自分をみることができ、成長を促進し、ボランティアを通じて新しい共同体ができるのではないかと願っています。
現代は、社会集団を失ってしまった時代といえます。
あるのは、会社社会と家庭だけです。
しかし、人間には社会的な自我を育成する場が必要ですし、平成の不況に陥ってからは会社社会もかなりのボロを出しはじめています。
私たちは、自分の社会的な自我を育てる新しい場を模索しなければなりません。
昔は、自然に地域共同体のなかでの各家の役割が決まっていました。
つまり、ボランティア活動などという言葉を使わなくても伝統によってその活動の内容がおのずと決まっていましたから、みんながあたりまえのこととして自然に行い、役割を果たしていたのです。
そういう役割を拒否すれば、逆に村八分といって共同体の側から排除され、そこでは生きていけなくなってしまいます。
ところが、いまはそのような地域共同体がなくなってしまいましたから、地域のなかでボランティア活動をしようと思えば、それぞれの人が自発的に考えて行わなければなりません。
いまのところ私たちはそのような習慣を失っています。
しかし、いちがいにそうとばかりもいえません。
先日私は自分の故郷に帰りました。
私の父は脳血栓で寝たきり状態です。
母一人で家を守っているのです。
その母に近所の人々はびっくりするほど協力してくれるのです。
母は心から感謝していました。
人間は捨てたものではないとつくづく私も感謝し、感慨にふけったものでした。
阪神淡路大震災のときに被災者たちが学校のグランドや体育館に集まり、そこで自然発生的にボランティアが行われました。
あのときに全国から学生たちが集まりましたが、実際に地域住民のために役立ったのは地元に住んでいる人たちでした。
そのボランティアの中心になったのは、地元でもそんなに目立つような人々ではありませんでした。
なにか集会があるときにあいさつをするような人ではなく、ごく普通の目立たないおじさんやおばさんが自然にリーダーシップをとってみんなを指導しているのです。
私はこれを見て、人間というのは混乱のない平和なときと混乱のあるときでは力を発揮するタイプが違うのだということを知らされました。
混乱があるときこそほんとうのボランティアが生まれ出てくるのです。
ですから、現代の平和で共同体がなくなってしまった日本では、ボランティアは成立しにくいけれども、日本がもっと貧困であればみんながお互いに助け合うと思います。
しかし、いまさらもう一度そんな時代を招くわけにはいきません。
だから私は、ボランティアを小学校の頃から高校まで学ぶべきだと思っています。
そのようなこともなく、ひとりひとりがバラバラに生きているだけなら、だれでもいつかは人は冷たいなどと嘆くことになるでしょう。

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